「トヨタマーケティングの敗北」は本当か?

トヨタマーケティングの敗北:SNSアプリ公募
http://news.livedoor.com/article/detail/5318639/


今回はTOYOTA SOCIAL APP AWARD、あるいはそれを活用したトヨタマーケティングそのものに懐疑的なブログ記事をご紹介。
僕は根っからのポジティブシンカー(笑)なので、ある程度の論理的飛躍までも許容して大いに肯定的に物事を判断する癖がありますが、そんな視点を相対化するためにも(?)、批判的な意見に耳を傾けてみます。
リンク先は(またもや恐れ多いことに)プロの記者の手による記事です。


過去の経緯や前提をすべて無視したら「若者のクルマ離れを食い止めるソーシャルアプリを!トヨタがアイデア公募」(INTERNET Watch)は現代風の面白いニュースになるのかも知れませんが、これは『トヨタマーケティングの敗北』と指摘するしかない事態ではありませんか。トヨタ自動車は高度成長期にはクラウン、現在はレクサスといった車で所有自体が社会的ステータスとなると消費者を信じ込ませて売ってきたのです。ライバルのホンダが運転して面白い車を目指したのと全く違うマーケティング戦略でした。ハイブリッドで世界に先駆けたプリウスですら、そのステータスシンボル戦略に乗っかっている印象が強いのです


というのが引用記事の主張です。
うーむ。


仮にトヨタは昔から「ステータスシンボル戦略」をとっていたとして、ネットの普及によってマスメディアによる広告効果がますます薄れたり、あるいは若者がクルマを買わなくなったという現状(それは客観的事実)を受けて、世界一の車メーカーがその戦略を変えようとしているという「過去の経緯や前提」が"あるからこそ"、「若者のクルマ離れを食い止めるソーシャルアプリを!トヨタがアイデア公募」は「現代風の面白いニュース」になるのではないのでしょうか?


そもそも「マーケティングの敗北」って、なんでしょう?
例えばホンダや日産がソーシャルマーケティングで一歩も二歩も先を行っているという状況が仮にあったとして、その競合に対して戦略が劣っているということは言えても、過去の戦略(引用記事によるとステータスシンボル戦略)が通用しなくなったことを受け自己革新を求めることをして、果たして字義的な意味で「敗北」というのか?

それでは「敗北」をしない企業や戦略などあり得ないことになりますが、ユニクロ柳井正氏も言うようにビジネスは「一勝九敗」の世界であり、言い換えれば「敗北上等。次はどうする?」と考えられる者が最後に勝つのです。


著書『一勝九敗』で柳井さんは

経営は試行錯誤の連続で、失敗談は数限りなくある。商売は失敗がつきものだ。十回新しいことを始めれば九回は失敗する。成功した経営者のなかには、もっと凄まじく「百回に一回程度しか成功しない」とおっしゃる方もいる。「現実」はいつでも非常に厳しい。経営環境は目覚ましいスピードで変化していく。そのスピードに追いつきながら経営を続け、会社を存続させていくには、常に組織全体の自己革新と成長を続けていかなくてはならない。成長なくして企業としての存在意義はない、と考えている。

と述べています。


そういった意味でも、トヨタの取り組みを只々批判的に眺めるよりも、それがどういう方向に進むかを注視し、そこから何かを学び、自身の(あるいは自分の属する組織の)ビジネスに応用するという視点が肝要だと思います。
たとえアウォードから生まれるアプリやそれを活用したマーケティングが失敗したとしても、です。



それにしても、

「このコンテスト、天下のトヨタ自動車の企画ですが、車離れの根本理由が消えないと意味なし!車は買うのも維持するのも多額のお金が掛かるので『だったら要らない』との結論が出ても変ではない」(happy415)、「安くて楽しい車を作ったらええねん。あと、商売抜きでモータースポーツに金使って夢を見せろや! F1参戦して面白い車で優勝しろ!」(semimaru)、「ソーシャルアプリ以前に、単純に『欲しい』と思えるクルマがトヨタに無いのだが…」(akoustam)とかなり散々です


↑といったように、新聞記者がブログとはいえ署名入りの記事上で、自身の主張の裏付けとしてツイッターのつぶやきを使う時代なんですよね・・・。
トヨタマーケティングが「敗北」したのならば、こちらは「ジャーナリズムの敗北」ではないでしょうか。
もちろん、「敗北上等。次はどうする?」という価値観の基において。